進学

できない人は大学へ行ってもできるようになれないし需要も限られる

今回は能力が低い高校生ないしはその保護者に向けて書きます

できない人を大学に入れても優秀で稼げる人間にはなれないという現実
をみるべきだと考えています。

できない人でも大学に行けるし卒業できるこの世だから。
能力が低いことから逃げてはいけない。
結局「できない」から普通の大卒と同じ生活を送ることは難しいので。

できる人とは同じにはなれないし、同じ進路は歩めないと認めてしまえばやり方はある。
認めない間、苦しみ続けるだけです。
(例えば病名がつく例だったにせよ、某元官僚の事件だってさっさとできない人であることを認めていたらここまでならなかったんではと思うし)

筆者もできない人のひとりだからこそ、それを強く思います。

まずは、以下のサイトの引用から。

この本の面白いところは、能力が先天的なものであるという事を理解できる部分にある。
”できる”人間がより”できる”人間になる事はあっても、”できない”人間が”できる”人間へとなる事は、ほぼない
できない人なりに適応する事はできるのだが、”できない”人は決して”できる”人にはなれない。
能力というのは天から個人に与えられたギフトであり、そのギフトは失うことはあっても得られる事はほぼないのである。

できないことを、淡々と「できるよね?」と言われるのが、えらいシンドかったという話。

これは重要な指摘である。
先天的能力の影響がかなりデカイのは否めない。
できる人もできない人もこの事実から目を背けているのが現在の日本ではないか。
(僕は現在の日本を「引導を渡せない国」だと考えている。このことの弊害は大きい)

できない人間でも大学にさえ突っ込んでおけばいい就職ができるかもしれない
などと考えてはいけない。

大学に行ってもできない人はできない人のままだからだ

可能性は低いし、間違って就職したとしてもついていけなくなるだけだ。
最悪精神を病みかねない。

借金を抱えて仕事もできない無能の出来上がり、となる。

能力の影響を軽視してはいけない

大卒は平均年収が高いし、大卒しか応募できない職があるから有利

よく言われるし、実際事実です。

でも落とし穴があります。

能力の低い大卒には需要がない

せっかく大卒を雇うのだったら、無能でないほうがいいに決まっています。
どの企業が好き好んで幹部候補に仕事ができない人を雇うのか、という話。

能力が低くても面接だけはうまくて大手企業に紛れ込んで窓際社員になる人も存在はします。
でも、これからの世の中その枠は削減されていくことは確実。
無能を隠しにくいインターン枠の増加や、終身雇用の崩壊などがあるので。

中小企業は無能人材を抱え込んでおく経営的余裕はないのでもっと辛辣しんらつでしょう。
大手と違って世間にたたかれることが少ないのでコンプライアンス的にも緩いし。

能力の低さは見た目ではわかりにくいが努力が通じにくい

皆さんも一度は聞いたことがあるだろう「自己責任論」

「努力しなかったやつが悪い」とする論なんだけど、なぜそれが生まれるのか考察してみる。

たとえば、車いすの人や目が見えない人に対して
「努力しないから車いすなんだ」とか「努力しないから目が見えないんだ」
という人はいない。言ってたらそっちのほうがおかしい。

車いすや目が見えない人の「原因」はだれが見ても、「運が悪く、克服不可能」とわかりやすいからだ。

では、皆さんは「能力が低い」人と聞いてどういうイメージが浮かぶだろうか。
明らかに見た目でわかるようなイメージを持たれている方も多いのではないだろうか。

だが現実は違う。ほとんどの場合、見た目ではわからない
だから、車いすの場合のように
「克服不可能だから仕方ないね」
という反応ではなく、
「努力しなかっただけだろ」

という風に受け取られやすい。

見た目は変わらないから理解されにくい。

自己責任論がはびこるのが日本だけの理由

じゃあ、なんで日本以外で自己責任論がはびこっていないのかというと、
「留年の存在」「目に見てわかる社会階層の存在」の二つの存在が大きいと考える。

小学生のうちから能力の低い人が留年しているのを見ている欧米の人は、先天的にそういう人たちがいるんだと学ぶ。
社会階層も日本より目に見えやすいので、それで生まれつき差があるのは仕方ない
→富める者は弱者に貢献しようという文化ができる。

その分無能はすぐクビだけど。

なぜ「Fランク大学に行っても無意味」と言われるのか

よく

筆者
筆者

Fランク大学なんて行っても稼げないし、無意味だよね

という意見があります。
これに対し

大卒枠じゃないと就職の幅が狭まる。
Fラン大でも一応大卒なのでその点では価値がある

という意見があります。これはどちらも正しいと考えます。

なぜか。

  • Fラン大卒でも優秀な人なら大卒並みの就職ができる
  • 無能率が高く、高卒と同じ仕事や非正規にしかつけない人も珍しくない

からです。
前者にとっては、Fラン大に行ったほうがましです。
でも、前者は圧倒的少数派。これには理由があります。

Fランク大生の多くが大卒の仕事が「できない」人だから。

選抜過程を見れば明らかでしょう。
Fランクではない大学(一部の学部を除いた大東亜帝国以上)では、入試による選抜があります。
難度がそれほど高くないといわれている大東亜帝国ですら、基礎学力が身についていない人にとっては難しい。
偏差値55くらいの学校で上位7割くらいの成績を取ってないと一般で入るのは難しい。低偏差値校からだと無理ではないけどかなり上位にいないと厳しい。

一方、入試によるフィルタリングがないFランク大学ではいろいろな人が混じってきます。
その中には大卒の就職に明らかに向いていない人も多数存在します。

そういう人にとっては「意味がない」のは事実です。
大卒以上の求人に応募しても採用されることはないので。

逆転Fラン生から能力の低いFラン生はどう見えるか

じゃあ、「成功するFランク大生」から「能力がないFランク大生」はどう見えているのかというと、

「怠けてて就職時期になっても動かないし、努力をしていない人」

に見えます。
努力していないから成功しないのだ、と見える。
実際には自分一人で動く能力がないし、継続する能力もないだけなんだけど。

なまじっか「Fラン大生」という共通点があるだけに、動けば自分のようになれると思っているかもしれないけど実は違うというね。

Fランク大学以外にも無能な人はいる

実は、勉強ができない=無能、ではなく、
Fランク大学以外にも「できない人」はいます。

むしろそちらのほうが下手に勉強ができただけたちが悪いかもしれない。
(まあ、筆者のことなんだけどね)

極論、勉強はできるけどそれ以外が無能な人が東大を目指すべきかと聞かれたら筆者は回答しにくいです。
なぜなら、「逆学歴フィルター」が存在するから。
いい企業には入れない人は小企業に目を向けざるを得なくなるのですが、
そこに東大卒が来たら企業はこう考えます。

「うちみたいな小さいところに東大卒が来るなんておかしい、なんかワケアリなのではないか」

まあ、それは外れていないです。
無名大学卒ならできない人でなくても小さい企業にしか受からないことはあるでしょう。
でも、有能な東大卒だったらふつうはそんなことないからね。

ただ、東大に行けるチャンスを逃すのも惜しいわけで一概にやめておいたほうがいいとも言えない、と。
(こういうケースの場合「一般人(高卒や地方の人)には無名だが有名な大学」の選択は大いにあり。一橋とか東工とか)

こういう人たちには勉強関係の仕事は残っているから筆者のような中途半端な人よりはよほどましかもしれんけど。
(最悪、講師が無理でも模試の採点バイトなどならできる)

※この手の場合面接通れるならであるが医学部に行くケースはある。
資格さえ取れば仕事ができなくて白い目で見られることはあってもくいっぱぐれの可能性は低いから。民間よりも「学力でどうにかなっちゃう」
人格面が微妙な医者が結構いるのもそれが理由。民間なら採用試験で落とされるけど、医者は資格とっちゃえば強いので。

できない人ってどういう人?

この記事では

  • できない人ができる人になるのはほぼ無理
  • できない人は大卒になっても結局低所得ないしは無職等に甘んじる

ということを書いてきましたが、疑問が浮かんだと思います

女子高生A子
女子高生A子

できない人ってどんな人なの?

これは職種によっても異なります。
肉体労働では、非力な東大卒の人は「できない人」になるでしょう。
逆に知的労働では、怪力だけど基礎的な算数国語ができない中卒が「できない人」になる。

前者を知的労働、後者を肉体労働に従事させたらそこそこ貢献してくれるかもしれません。
(後者を大学進学させようってのに近いのがFラン大)

これらに当てはまる人は文系大学への進学はお勧めできません。

以下、できない人の特徴(主に大卒職)について書いていきます。

コミュニケーション能力が足りない

文系を採用する企業の8割がコミュニケーション能力を重視します。

「それがなければ仕事に支障をきたす」能力だということです。

もちろん社交性は大前提ですが、それだけでは足りません。
「相手に言われたことを曲解せずに正確に受け取る」能力
「他社にモノを売る」能力
「輪を保つ」能力
「気づかいをすること」
「プレゼン能力」
などなど。特に1番目の重要性はよく言われます。

あと、はっきり言いすぎる人、注意しても物事を受け入れない人、自分の都合のいいように解釈する人などもマイナス。
ある程度気を使うことが必須になってきます。ま、気を使いすぎて何も言えないのもいけないのだけど。

高卒職なら「輪を保つ」能力=協調性があればおk

要領が悪い、マルチタスクできない、処理能力が低い

要領が悪い人も、無能とカウントされることが多い。
これは、バイトや高卒職でも厳しいので注意(体験談)

処理能力の高さがなぜ求められるのかというと、時間給で働いているからである。
同じ賃金で雇うなら仕事の効率がいい人のほうがいいに決まっている。

(出来高で仕事をするタイプならそこまでではないだろうが基本的に最賃割れ)

マルチタスクができないタイプもキツイ(体験談)
筆者が偏差値50代前半で止まったのは今考えればマルチタスクできないことが理由かもしれない。。。難関大行くためには一定の処理能力はやはり必要だと思う

処理能力はコミュニケーション能力の次くらいに企業が求めてきます。
基本的に高学歴や体育会系※のほうが有利な指標になるため、有名企業の採用者は高学歴と体育会系が多くなるわけです。

※処理能力がないと球技などの大部分のスポーツを大学まで部活で続けるのは無理かと
ボールが来たら即時に打ち返さないといけないし。

極度な運動音痴

同様な理由で極度な運動音痴もキツイ。
要領が悪い→運動ができないってのはよくあることだから。

ちょっと苦手とか、運動音痴だけど手先が器用とかなら救いようあるけどね。
学年でビリレベルはきつい(元体育1の人より)

基礎学力が低い、読解力、理解力がない

これは大卒職にほぼ限定される。
義務教育レベルの基礎学力(特に読解力、国語力)がない人は大卒職への適応が厳しい。

大勢の大卒労働者が某小学生ユーチューバーに対して

大卒エリート
大卒エリート

義務教育の勉強をしないと就職するのは厳しい

的なことを言っていたことを考えると、大卒の仕事に就くにはかなり重要なんだと思う。
1人じゃなくて大勢の意見が一致しているのだから。

筆者的には「中卒や日本の教育を受けていない外国人でも仕事してる人もいるんだから大卒職でなければ問題ないやろ」と思うんだけど。

Fラン大生の逆転が珍しいのはこの理由も大きい。
だって、中学時代に勉強ができずに底辺高校に行って、
高校時代に勉強ができずにFランク大学に行った人が大半だもん。

そりゃ無理だって。(ただし、高卒職にならつける人はいる)

自分で動く力が乏しい、言われたことしかできない

これも大卒職限定であり、これができない人は非大卒で就職したほうが幸せになれる

非大卒なら、言われたことさえできれば全く問題ないし、勝手な行動をする人は求められていないから。

言われたことしかできない、自分で動けないような人は大卒職ではお荷物。
そういう人たちは高卒労働者としてなら活躍できるでしょう。
下手に大卒職へ行くと詰められてメンタル病むのがオチなので注意。

できない人であるということの自覚

さらにたちが悪いのは、本人が「できない人」であるという自覚を持っていない場合。
理由がわからずクビになったり就活の落選を繰り返すケースもあるだろう。
自覚があるできない人よりタチが悪いからだ。

よくほめろとか、いいところを見ろとか言われるが、
幼いころはともかく、長い目で見ればそれだけじゃいけない。

自分の欠点を知ることだって必要だと思う。
それを知らずに社会に放り込まれて摩擦を起こすケースもある。

風呂に入らず自覚なくにおいをまき散らす人が知らなきゃいけないのは
「自分はクサイ」ということであるのと同じように。
(ただ、これも臭くないのに病的に臭いと思い込む病気もあるので難しいけど)

だからせめて自覚を持っておいたほうがいい。

できない人はどう生きていけばいいか

じゃあ、できない人はどう生きていけばいいのか。
これは個人差はあるけど、いい生活はできないと思っておくべきでしょう。

最悪生活保護の可能性すらあります。(それすら8割を障がい者と高齢者が占める狭き門なんだけど)

だから重要なのは「節制」。
生活コストを最低限まで落とすことに今から慣れておく。
コストを上げないという意味では大学に行かないほうが無難。
特に何の技能も身につかない文系大学は避けることを強くおすすめする。

それくらいしか言えないかな。あと早く自覚して敗戦処理をすることかな。

あと、出来ないことにもよる。
勉強ができなくてコミュニケーション苦手でも、体力と根性さえあれば賃金は高くないけど肉体労働の道が十分にある。
逆にコミュニケーション苦手、体力なし、運動できない、要領が悪いという人のほうが仮に勉強ができても選択肢が極端に少ない。特に大卒のひきこもりにはこの手の種類の人が多いと思っている。
(需要がないんだから仕事につかせて社会復帰させるという選択肢がこの場合取れない)

給料の高低にかかわらず、自分が働ける場所を探すことも重要で。
無理に給料の高いところでついていこうとは思わないほうがいい。ムリだから。

まとめ

できない人はできるようにはならない。
だから無理にできる人や普通の人と同じ人生を送ろうとすると破綻する。

このような例はマスコミの記事を見るだけでもいくらでも取り上げられている。
貧困の記事から事件の記事まで。

この記事には「できない人」である筆者の反省と教訓も含まれています。
就職の落選や非正規雇用でのクビを繰り返し、
20代半ばで、「自分はどんくさくて仕事ができず、雇いたがる職場も、一緒に働きたい人も少ない」
ということを悟った。

運動音痴はここまでハンデになるんだと、勉強の場では知ることができませんでした。
もう少し頭が良ければ受験産業などもあるんでしょうが、学力も中途半端で需要がない。

結局フリーランスといえば格好よく聞こえるでしょうが、低賃金。
出来高なら早いかどうかは会社には関係なく、締め切りさえ守れば仕事が遅いことを咎められないので。

資本主義社会では、出来る人とできない人には待遇や雇用に格差が出ます。
これは仕方がないことなのですがこの事実にさっさと気づくかどうかが明暗を分けると思います。